蛮族の生活

蛮族です、未来を喰らいつくします

吾を統ぶ鷹

谷川俊太郎がその一時期の経済的貧困を脱せれたのは彼の作品ではなく「マザーグース」の翻訳によってであった—という話を思い出して書こうと思ったらそれを書いてある本(自選谷川俊太郎詩集ー岩波文庫の解説部分)が見当たらない。普段の自分を責め,また神仏霊魂精霊生けとし生きるものに感謝と祈りを捧げたところ無事見つかったのでこの文章は書かれています。次に神について思いを馳せるのは腹痛の時でしょう。

実際に内容を読んでみたらマザーグースの翻訳の大ヒットで全くもって生活が安定したといった文脈だった,当たらずとも遠からず。

なんでこんな話を書いたかというとただの話の枕です。今日は寺山修司の話がしたいなと思って。寺山修司—彼もまた谷川俊太郎の友達で街に「詩」を見つけにいったりなんかしたりとかするほど仲が良いんですけど,谷川俊太郎同様マザーグースの翻訳をしてるんですよね,どっちが早いんだろうと思って年譜を見てみたら谷川俊太郎が1975年で寺山修司が78年だった(刊行されたのが)妄想が膨らみますね。膨らませろ。

ここに至って読者の方は僕が谷川俊太郎寺山修司の尋常ならざる関係を勝手に妄想し名誉毀損のレヴェルにまで到達することに冷や汗をかかれた方も居るかも知れません,多分居ない。そう,寺山修司の俳句の話をしなさい。しましょう。しませんか?

寺山修司ってのは簡単に説明しにくいですね。困った。日本にアングラという概念を持ち込んだ怪しいおじさんです。劇とか短歌とか詩とか俳句とか映画とかやってた。谷川俊太郎はみんなご存じそう,生きるとはミニスカートであるという事実を発見しノーベル賞をもらった日本の偉大なる詩人です。嘘です。半分合ってます。

「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」

「めつむりて/いてもあをすぶ/ごがつのたか」なんですよね575にすると。(この句は576だけど)破調ですね。最初一目で見たときから愛さざるを得ない句だったので,名句というものの存在を肯定するしかないな…と思った初めての句だったかも知れない。僕の心の中では「めつむりていても/あをすぶごがつのたか」と読んでます,なんの話だよ。俳句の話だよ。

お風呂に入ったら何について書こうと思ったのか忘れてしまった。思い出したこの句の青春性についてですね。この句は寺山修司が創りあげたかった,そして創りあげた若者の全てがつまってると思いませんか?そうは思わない?まあ聞いて聞いて。

目をつむっていても私ー僕を鷹が統べているという文言は僕たちに目を開けたときの世界を思い起こさせます。当然そこは五月の草原であるし鷹は空の王者として悠々と青空を飛んでいる訳ですね。

しかし目をつむっていること(或いははつむらせていること)には当然理由があります。それは目をつむっている=空想の世界だからですね。いきなり都市伝説についてかかれているサイトみたいな様相を呈してきましたけれど(ちなみにシャボン玉とんだとかの都市伝説の作者は寺山修司だったりする,嘘だったら怒ってね)寺山修司を取り巻いていた当時の俳壇の様子を考えれば,(驚くことに現実の光景を読むことが俳句においては偉いんだとされていたんです!)この予想は当たっていると言わざるを得ない。

空想の世界によって現実が規定される世界は存在し,そこの王たる鷹に統べられている少年もまたそこの王である。その思い上がりたるや!全く以て正しい!!世界で1番不幸なのは僕だし,世界を支配しているのは僕なんですね。あたりまえです。王様なんて裸だし大人なんて馬鹿ばっかりです。リボルバーをぶっ放せ。

この句はそんな馬鹿馬鹿しい・僕たちの・世界に対しての挑戦でしかありえず,大方の予想通りその挑戦は賢い大人によって粉砕されるわけです。

敗北は必然であるし,敗北を運命づけられた作品はなによりも刹那的で美しい。この句はそんな句でした。

(あれ最初に出てきた谷川俊太郎の話はどこ行ったんだよ)殴らないで殴らないで,あっそこ石投げないで,投げるのは銭だけで…。そうです言いたかったのは東京で二十億光年の孤独に青年がくしゃみしていた頃,青森では鷹に統べられた男の子が世界を(目覚める前に)夢見ていたと言うこと。まさしくこれは日本の詩の青春でもあったのかなってことを言いたかったんですよ。

けれども大丈夫。詩は人間と違って何回だって青春を経験するのですから。

(出典 花粉航海)