蛮族の生活

蛮族です、未来を喰らいつくします

じゃんけんをしましょう

じゃんけんほい,僕の勝ちです。なぜならあなたが思いついた手に勝つ手を私は出すことにきまっているからです。今決めた。それがこの空間を支配するために書くという行為をした者の特権です。てやんでぃ。

冗談は顔だけにしといて池田澄子の名句「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」について書こうとしたら意外にもというよりかは圧倒的に(これまでの句に比べ)インターネッツにその存在を知られていたので,まあ僕の出る幕はないかなって思ってます。てかこのシリーズはなんなんだよ。

ミーハーな句のチョイスをしてるのには意味があって俳句のミーハーは世間のミーハーでは特にないという事実に気がついてしまったからですね。仕方ないですね。マイノリティ。僕は好きにやる,君たちも好きにやりたまえ。

ところでこの句,何故か僕はじゃんけんに負けて…という風に覚えてしまってました。親を間違えてしまったカルガモのようにこの先入観から僕は逃れられない。じゃんけんに負けたのならなんか哀愁が漂っちゃいますよね,こう人生の裏小路,平日朝から酒を飲み鼻を赤くして武勇伝を語るおやじ,浪花節

じゃんけんで負けたっつうとなんか事務的ってか意外に前向きってか,まあしかたないよねみたいな感じがして良いですよね,わかる。決まりだから,仕方ねえわな。

冷静に考えれば蛍に「じゃんけんで負けちゃったのね」なんて話しかけているやばい絵面だし,こんなことを僕が日常でやっていたらたちまち病院送りとなるでしょう。これが詩的な世界として成立して人に受け入れられるということは意外に俳句は奇想天外摩訶不思議ワールドとして成立してるんじゃないかな,と思う訳なんですよ。

俳句というのは575季語入りなんて縛りをしている時点で大変にマゾヒスティックで変態じみているのに,その上に重ねて己を縛っていく変態が多い場所であるというのはよく知られています。文語であり花鳥諷詠であり感情語はいれないべきでありだから言っただろ…?お前を倒すのは俺だってさ!みたいな具合ですね。良い悪いの話ではないのですが,こと他の文芸に目を向けてみればここまでメインストリームで縛りプレイをしている文学って無いですからね。

季語あり575の枠内で面白いこと新しいことをする試みは俳句人口の割合の中で言えばかなり少数派のように思います。

そして俳句に関するそんな先入観を粉砕してくれるこの句は僕はとても好きな訳ですね。

これは蛍ちゃんです。今の時期には少しづつ眠りから醒めつつあるかもしれませんね。

夏へと

(出典 池田澄子句集)