さるすべりって語感はすごく滑稽なのに漢字にすると百日紅っていうんだよ、百日の紅、綺麗だよね。
そう彼女が私に言ってきたのは夏が始まったころでまだその花は咲いていなかった。
「百日紅の花って見たことがある?紅って名前がついているけど私は白いほうが好きだな、今度良く見てみてね」
この世界は名を付けられた瞬間に広くなる。彼女に教えられるがままに私はいろいろな植物の名前を憶えていってそのたびに世界が広くなっていっていく気がしていた。
その頃の私は永遠を信じていたけれどもそれは他愛無い感情で、まるで幼子が母を無条件に愛するようなそんな無邪気なものだった。そして私は彼女との永遠もおそらく無邪気に信じ切っていたのだと今になってみれば思う。
百日紅の花が綺麗に咲く頃、彼女は私の前から姿を消した。突然連絡が取れなくなって動揺した私は何度も電話をかけたけれども、存在しない電話番号ですとただ電話会社に告げられるだけだった。前触れもなくふらふらと消えた彼女がどこでどうしているのかはそれ以降二度と知らない。
彼女は私の前からすっかり姿を消してしまったけれども、百日紅の花は私の世界から消えてしまうことはなかった。ふとした瞬間にその綺麗な幹が、花が、葉が私の前に立ち現れて、それは一つの呪いの様に私を揺るがせる。
今私は八月の街の中で立ち尽くしている。またこうやって百日紅の花に出会っている。白くてきれいな百日紅。私を縛る百日紅、私を呪う百日紅。
夕暮れに漂う君の残り香と私に降りかかる百日紅
(早川葵)