蛮族の生活

蛮族です、未来を喰らいつくします

奇譚2

僕が彼女に出会ったとき、彼女は赤の唐傘を回しながら雨の中踊っていた。

おりしも夕立が僕らを包んでいた時で、あれはそうだった、八月も末の頃だったか。

「何をしているんですか」と声をかけると

「近づいてはいけない」とくすぐったそうな声で、まるで冗談のように笑いながらそう彼女は僕に言う。

「いったいどうしてなんですか?」と僕が彼女に尋ねると。

困ったような顔をしてそのまま笑い続ける。くすくす。くすくす。

「大切なことはね」と彼女は僕に囁く。

「彼岸と此岸の間を踏み抜いてしまわないことよ」

そうしないと

「こんな風に呑まれてしまうわ」

気が付けば僕らは川のそばにいる、ひたひたひたひたと足を濡らすは黄泉の水。番頭が僕に話しかける。

「三文銭を持っちゃいないかい?お前さん」

童がしゃべる

「三文銭を持っちゃいないなら此処は渡してあげないよう」

「彼岸にお戻り、此岸にお戻り。彼岸にお戻り、此岸にお戻り」

「鬼が来る前に帰りましょ、鬼が居ぬまに帰りましょ」

童が歌う。童が集う。

「あなた」彼女が再び現れた。

「眼がよすぎるのね」呆れたようにそう呟く。

「鬼が来る時間じゃなくてよかったわ、そうでなければ賽の河原で延々と、石を積んでは取り崩し、石を積んでは取り崩す事になっていたわ」

少しだけ寒さを感じる。気が付けば元の公園に僕らは戻ってきていて、ポケットの中には濡れた石が一つポツンとあった。

「眼はよくないです」と僕は伝える。これまで何かを視たことなんてなかったからそう答える。

「人とあなたとどう見えるかを比べたことがないからそう言い切れるのよ」

「第一に私に貴方が見えていて、貴方に私が見えている」

それはそうである。唐笠を回す女生徒なんて最近てんで見やしない。

「だとすると」

これは怪異であるというのだろうか。

「怪異なんて、それは人の側の名付けたけた言葉でしょう、失礼しちゃうわ。」

「私たちはこれまでもいてこれからもいる存在、生きているものの中では時々視れるものがいる存在」

「そうして死んでしまえば」

「いつでもこちらになったりあちらになったりするだけのこと」

「肉体の器はもろく、記憶は常にあやふやだわ」

「視える人には寄るなんて言葉があるけれどそれは間違いよ、私たちが平凡な存在であるゆえに、視える人にはどこでも現れるように思われているだけ」

ただ一人、引き寄せる子供の話は聞いたことがあるわ

彼女はふとさみしげな顔でそう呟いた。

「彼女は屋敷に育って、不自由なく育ち、その不安定さから世に出ることはなくいつも守られて暮らしていたの。ただ彼女は少し困った子でね、どうにもこうにも好奇心が強すぎたのね。そして普通はないことなのだけれども視ているうちに間に落っこちてしまったの」

それは?

「それは彼岸と此岸の間によ」

「生まれては死に、死んでは生まれ、生まれては死に、死んでは生まれ、生命の性としての役割を彼女は失ってしまったの。」

「誰もが探し、誰もが嘆き、記憶は薄れ、人は死に、人は生まれ、そうしてめぐっていくうちにたいていの事は忘れられていくわ」

そうして、少女は彼岸と此岸の間をさまようこととなった。

そうして待っていたわけね、視える人の事を。

「うれしすぎたのね、また同じ過ちを犯すところだったわ、貴方は気が付いていたかしら、童は貴方の事を守っていたのよ、それがどういう縁でそうなったかは知らないわ。きっとそれは貴方も忘れてしまった記憶の中に答えはもしかしたらあるのでしょうけれども」

「嫉妬しちゃうわね、私の時にはそんなことはなかったわ。」

川辺に向かいましょう、と彼女は私の手を繋いで歩き出す。彼岸花には一つの死。ではこの白い彼岸花はなんでしょうね?

「分からない」

「そう、分からなくなった、行先のないもののために咲いた彼岸花よ」

「一本取って手向けに渡してくださいな」

言われるがままに一つとる。真白い真白い彼岸花を。

彼女に渡すと彼女は少し微笑んだ。

「ありがとう。私がどうなるかはわからないわ、でもこれであなたは視ずに済む。」

遠くで童の声がする。

「真白い真白い彼岸花戻らぬように折りましょう。真白い真白い彼岸花上手に上手に折りましょう」

少し寒気がする。また会えるでしょうか?と僕は尋ねる。

大丈夫よ、会える縁ならまた会えるわ。遠くで彼女の声がする。

それが今生の話ではなくてもね。